By ゆうと | 1月 3, 2012 - 8:42 am - Posted in 未分類

親鸞聖人が仰言る「信心」 とは、世間一般で言われる信心とは全く

異なりますので、「他力の信心」「真実の信心」と言われます。

阿弥陀仏の本願文のお言葉で言いますと、「信楽」 (しんぎょう、と読みます)

と同じです。

大宇宙の仏の本師本仏である阿弥陀如来は、その本願に、

「すべての人を、必ず信楽の心(絶対の幸福)にしてみせる」

と誓われています。

信楽とは、歎異抄でいえば無碍の一道、今日の言葉でいえば、絶対の幸福、

ということです。 阿弥陀如来のお力によって、無碍の一道、絶対の幸福に

なったことを、信心、信楽、あるいは、信心決定、信心獲得、というのです。

親鸞会の二千畳では、毎月、親鸞聖人の本当の教えを聞くことができます。

親鸞会のホームページをご覧ください。

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By ゆうと | 11月 21, 2011 - 9:53 am - Posted in 未分類

親鸞聖人の書かれたものは、沢山ありますが、お聖教といいます。

覚如上人の書かれたものも、御伝鈔、執持鈔、改邪鈔などいろいろありますが、
お聖教といいます。真宗聖典にのっています。

蓮如上人の書かれたものは、御文章などですが、お聖教といわれ、
真宗聖典にのっています。

また、七高僧の書かれたものもお聖教であり、さかのぼれば、お釈迦様の
説かれた一切経もお聖教です。

釈迦、七高僧、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人のお書きくだされたものを
お聖教と言いますが、書かれていることは、共通しています。

一切の聖教というも、南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなり。
(御文章)

蓮如上人の仰言るとおり、すべてのお聖教に書かれていることは、
南無阿弥陀仏の六字を私たちに信じさせ、与えるために書かれたものです。

無駄なことは一切書かれていません。
南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめる、とはどういうことでしょうか。
他力の信心を獲させる、といっても同じです。

親鸞会の二千畳の会館で、聞かせて頂きましょう。
親鸞会の行事案内は、ホームページで知ることができます。

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By ゆうと | 10月 16, 2011 - 10:07 am - Posted in 未分類

阿弥陀仏に救われたことを、信心獲得、信心決定、と仏教で言います。

この信心とは、世間一般でいわれる“信心”とはまるっきりことなりますので、

真実信心、とか、他力の信心、二種深信、などと言われます。

一念で、阿弥陀如来より、二つのものを頂いたことを、真実信心ともいう

のです。これを如来二種の廻向、といいます。

ここでいわれる如来とは、阿弥陀如来。

二種とは二種類の、二つの。

廻向とは、あたえる、さしむける。親鸞聖人が廻向と使われたら、

他力廻向に決まっております。阿弥陀仏から私たちに、与えてくださるのです。

その二つとは、往相と還相です。 では、それぞれどんな意味でしょうか。

親鸞会の750回忌法要では、この二種の廻向を聴聞させて頂きました。

親鸞会で、本当の親鸞聖人の教えを聞きましょう。

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By ゆうと | 8月 30, 2011 - 2:00 pm - Posted in 未分類

数ある仏教書の中で、最も有名なものは、「歎異抄」 ではないでしょうか。

高校の教科書などでも、必ずといっていいほど、出ています。

今から約650年前に書かれたもの、と言われており、著者不明です。

流れるような美文、名文で、親鸞聖人の教え、他力信心の極致が書かれて

います。 親鸞聖人が世界の光であり、親鸞聖人の教えを知りたい人は

歎異抄を読むのですが、ひじょうに誤解しやすい箇所が、多くあります。

全部で18章からなりますが、1章にすべて納まります。

その1章の中でも、特に大事な部分が、「信心を要とすとしるべし」

の一文なのです。 これは一体、どのような意味でしょうか。

歎異抄の真意は、教行信証に基づかねば、わかりません。

親鸞会館で、本当の親鸞聖人の教えを聞きましょう。

親鸞会の法話は、全国各地でも行われています。

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By ゆうと | 7月 31, 2011 - 10:32 am - Posted in 未分類

信心獲得したら、「外の雑縁さらになし」になる、と、

親鸞聖人は仰言っています。

「外の雑縁さらになし」 とは、有名な歎異抄でいいますと、

「無碍の一道」 ということです。

無明の闇が破れて、往生一定の大安心になりますが、

その往生一定の碍りになるものは、何一つなくなります。

犯したどんな罪悪も、往生一定の碍りにはなりません。

今日の言葉でいえば、絶対の幸福といえましょう。

阿弥陀仏は、すべての人を、必ず、絶対の幸福に救いとる、

という本願を建てておられるのです。

親鸞会で、その阿弥陀仏の本願を聞かせて頂きましょう。

親鸞会の法話案内は、ホームページをご覧ください。

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By ゆうと | 6月 28, 2011 - 9:36 pm - Posted in 未分類

親鸞聖人の教えられた信心は、

他力の信心、真実の信心、など、いろいろな言い方をされます。

そして、その信心は、「獲た」ということのある信心です。

それゆえ、信心を獲た、信心を獲よ、信心をとる、などと言われます。

これは、親鸞聖人の教えられた信心しか、使われない言葉であり、

世間の宗教にはありません。

そして、親鸞聖人も、蓮如上人も、はやく信心を獲得せよ、と、

これ一つ生涯教えてゆかれました。

親鸞会で教えられていることも、このこと一つです。

では、信心獲得したら、どうなるのか。

親鸞聖人は、次のように仰せです。

「利他の信楽うる人は 願に相応するゆえに

教と仏語にしたがえば 外の雑縁さらになし」

まず、利他の信楽とは、他力の信心のことです。その他力の信心

を「うる人は」と、親鸞聖人は仰言っています。

「外の雑縁さらになくなる」と、仰言っています。

これはどんな意味でしょうか。 親鸞会では、毎月、正信偈の

話がなされています。

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By ゆうと | 6月 3, 2011 - 9:03 am - Posted in 未分類

浄土真宗親鸞会では、親鸞聖人の本当の教えが説かれています。

今日、世界の光と言われる親鸞聖人の教えは、親鸞会でしか聞くことが

できないでしょう。 東西の本願寺をはじめ、真宗十派は、十劫安心、

称名正因の異安心となり、寺には誰もよりつかず、葬式法事をなりわい

としているのが実情です。

「この信心を獲得せずば極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべし」

信心獲得しなければ、死ねば無間地獄へ堕ちねばなりません。

これを、後生の一大事といいます。

これ以上の大事はありませんから、“一”大事、といわれるのです。

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By ゆうと | 11月 18, 2010 - 4:58 pm - Posted in 未分類

親鸞聖人も、蓮如上人も、“信心”一つ、しか、教えられませんでした。

その大前提を、まず、知らねば、仏教も、親鸞聖人の教えもわかりません。

仏教は、後生の一大事を知るところからはじまり、

後生の一大事の解決で終わります。

これ以外に、仏教の目的はありません。

金儲けのために仏教を聞くのでもないし、人間関係をよくするために

聞くのでもありません。後生の一大事解決、ただこれ一つのためです。

領解文にも、「我らが今度の後生の一大事、御助け候えと・・・・」

とあります。

後生の一大事とは、なにか?

次回に続けましょう。

後生の一大事と、その解決が、親鸞会ではあきらかにされています。

親鸞会で、本当の親鸞聖人の教えを聞きましょう。

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By ゆうと | 10月 8, 2010 - 9:49 am - Posted in 未分類

親鸞聖人の教えは、「唯信独達の法門」であることは、

前回お話しました。

親鸞聖人の教えをそのまま伝えられた蓮如上人は、

「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」

と仰いました。

親鸞聖人、蓮如上人ともに、一生涯教えてゆかれたことは、

“信心”一つであったことが、おわかりだと思います。

ゆえに、御遺言には、

「あわれあわれ、存命のうちに、みなみな信心決定あれかしと

朝夕思いはんべり」 と仰っています。

では、両聖人が命をかけて教えられた“信心”とはなにか、

これがわからねば、親鸞聖人の教えは、一切わかりません。

浄土真宗親鸞会は、つねにこのこと一つをあきらかにして

まいりました。そして、それに反する一切の邪義を打ち破って

きました。

五濁の時機いたりては 道俗ともにあらそいて

念仏信ずる人をみて 疑謗破滅さかりなり (親鸞聖人)

聖人の仰のとおり、真実の仏教をあきらかにすれば、必ず

非難が起きるものなのです。しかし、ことは全人類が浮かぶか

沈むかの、後生の一大事。一切の妥協は許されません。

親鸞会で、正しい親鸞聖人の教えを知ってください。

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By ゆうと | 9月 9, 2010 - 9:16 am - Posted in 未分類

浄土真宗親鸞会では、つねに、親鸞聖人の教えが説かれています。

親鸞聖人の教えは、「唯信独達の法門」 といわれます。

法門とは、教え、ということ。

「唯」 とは、唯一、ただ一つ、の意味。

「信」 とは、「信心」 のこと。

「独」 これも、一つ、という意味。

「達」 とは、達成、ということで、弥陀に救われる、ということ。

人生の目的が完成する、ということ。

だから、「信心」 が極めて大事なのです。

蓮如上人は、これを、

「聖人一流の御勧化の趣は、信心を以って本とせられ候」

と、仰っているのです。

歎異抄には、「信心を要とすと知るべし」 と書かれています。

では、親鸞聖人、蓮如上人が、「信心」 と仰るのは、

どんな信心なのでしょうか?

親鸞会で、その信心について、聞いてください。

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