By ゆうと | 7月 18, 2010 - 9:10 am - Posted in 未分類

浄土真宗の方ならば、朝晩お勤めのときに拝読されているのが、

親鸞聖人のお書きくだされた正信偈です。

「帰命無量寿如来 南無不可思議光」 ではじまります。

この正信偈には、親鸞聖人90年の教えのすべてがおさまっています。

ゆえに、正信偈がよくわかれば、親鸞聖人の教えはハッキリ致します。

ところが、浄土真宗の門徒といっても、正信偈の意味を知っている人は

ほとんどありません。

漢字ばかりで書かれていますので、正信偈をお経だと思っている人が

ありますが、正信偈はお経とは違います。お経はお釈迦様が説かれた

ことを書き記したものですが、正信偈は親鸞聖人の書かれたものです

から、お経ではありません。

偈とは、うた、ということですから、正信偈は、正しい信心のうた、という

ことです。信心、と聞くと、自分とは関係のないことだと思っている人も

あると思いますが、はたしてそうでしょうか。

親鸞会の会館では、正信偈の話を聞くことができます。

親鸞会の二千畳の正本堂では、月1回、正信偈のお話があります。

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By ゆうと | 5月 11, 2010 - 5:03 pm - Posted in 未分類

では、信心獲得(阿弥陀仏に救われること)しなかったらどうなるのでしょうか。

「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」

と、蓮如上人はハッキリとおっしゃっています。

信心獲得しなければ、死んで極楽浄土へは行けませんよ、無間地獄へおちますよ、

と仰言っています。これを後生の一大事と申します。

すべての人は、この後生の一大事を持っています。

私たちが人間に生まれてきた目的、生きている目的は、この後生の一大事解決、

信心獲得のためなのです。

ですから、蓮如上人は、御遺言にも、

「あわれあわれ、存命のうちに、みなみな信心決定あれかしと、朝夕思いはんべり」

と、仰言っています。 親鸞聖人、蓮如上人、善知識方が願っておられることは、

「信心決定あれかし」 以外にはないのです。

なれば、如来聖人、善知識の洪恩に報いる道は、我々が信心獲得することです。

ひたすら、光に向かって進ませていただきましょう。

親鸞会で、本当の親鸞聖人の教えを聞きましょう。親鸞会では、常に、親鸞聖人、

蓮如上人の教えられたことを聞かせていただけます。

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By ゆうと | 4月 16, 2010 - 8:46 pm - Posted in 未分類

浄土真宗でいわれる信心は、世間でいうような信心とはまるっきり違うことをお話していました。

ですから、真実の信心、他力の信心、真実の信楽、などといわれます。

この信心を獲ることこそが、仏法を聞く目的です。

信心獲得、信心決定、信楽受持、などといわれます。意味はみな同じです。

いわゆる南無阿弥陀仏の名号を、阿弥陀仏から頂いたことをいいます。

信心獲得すれば、この世から未来永遠の幸福に救われます。

この世は正定聚不退転の身になり、一息切れたら往生即成仏、弥陀同体の仏に

生まれさせていただくことができます。これみな、南無阿弥陀仏の名号に、その

働きがあります。

では、信心獲得しなかったらどうなるのでしょうか。

「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」

と、蓮如上人は御文章にかかれています。

では、これは一体、どんな意味なのでしょうか。

親鸞会で仏法を聞かせて頂く目的は、信心決定、ただこれ一つです。

親鸞会で、あなたも人生の目的を達成してください。

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By ゆうと | 3月 24, 2010 - 2:17 pm - Posted in 未分類

このように、浄土真宗で教えられる信心は、私たちの心で作り上げる信心ではなく、

阿弥陀仏から賜わる信心ですから、

これを他力廻向、と言います。

他力とは、阿弥陀如来の本願力。

廻向とは、差し向ける、与える、ということです。

不可称不可説不可思議の功徳がおさまった名号を、阿弥陀仏のほうから私たちに

与えてくださるのです。

聖人一流の章には、「不可思議の願力として、仏のかたより・・・」と書かれています。

しかも、名号は一念で頂きますので、一念の信心、と言われます。

一念とは、時刻のきわまりのことで、あっともすっともいうまがない、何億分の一秒

よりも短い時をいいます。

親鸞聖人は、「一念とは信楽開発の時尅の極促をあらわす」 と教行信証に

書かれています。

このように、阿弥陀仏から一念で名号を頂いたことを、信心決定、信心獲得、

仏凡一体、信楽開発、など、さまざまな言い方をされるのです。

釈迦の説かれた一切経は、私たちが信心決定する、これ一つが目的で

説かれています。

浄土真宗親鸞会が作られた目的も、これ以外にはありません。

「あわれあわれ、存命のうちに、皆々信心決定あれかしと、朝夕思いはんべり」

(蓮如上人の御遺言)

この蓮如上人の御心のままに、親鸞聖人の正しい教えを、自他共に徹底

する、これが親鸞会です。

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By ゆうと | 2月 10, 2010 - 11:23 am - Posted in 未分類

名号の働きは、一言でいうと、破闇満願 でした。
破闇とは、闇を破る。

闇とは、無明の闇のことで、後生暗い心とも言われます。
すべての人の苦しみの根元は、この無明の闇一つだと、
親鸞聖人は断言されています。

さて、無明の闇、後生暗い心とはどんな心なのでしょうか。
そして、なぜそれが苦悩の根元なのでしょうか。

まず、後生とは、死んだ後。
私たちの確実な未来です。死なない人は一人もありません。
100%確実な未来です。

その後生が暗い、とは、後生がわからない、ハッキリしない、
ということです。
あるのやら、ないのやら、あるならどんな状態なのか、
まったく分からない。
お先真っ暗な状態なのです。

不況が長引いており、みんな先行き不透明で不安な日暮を
送っています。行く先がハッキリしないから、現在が不安なのです。

我々の100%確実な未来が後生。それは、一瞬先のことかも
しれない。生きている、ということは、常に後生と触れ合っている、
ということです。

凍った道で車がスリップし、軽自動車とワゴン車が衝突。
軽自動車の後部座席に乗っていた結婚間近のカップルが即死。

100%確実、しかも、次の瞬間かもしれない後生、その後生が
真っ暗がり。だから現在が不安なのです。
未来が暗いから現在が暗い。
未来が明るければ現在も明るい。

本師本仏の阿弥陀如来は、私たちの苦悩の根元は無明の闇
であると見抜かれ、それを必ず破ってみせる、後生明るい心に
してみせる、という本願をたてられたのです。

本願の通り、無明の闇が破れたのを、信心、あるいは信心決定、
というのです。

親鸞聖人の教えを知りたい方は以下のサイトを見てください。

親鸞会ポータル
親鸞会

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By ゆうと | 11月 10, 2009 - 1:56 pm - Posted in 未分類

では、親鸞聖人が生涯教えられた「他力の信心」とはいかなるものでしょうか。

まず、他力とは、阿弥陀仏の本願力のみをいいます。

教行信証には、「他力というは如来の本願力なり」 と書かれています。

他力、というと、自分以外の力、自然の力を他力と思っている人がありますが、

とんでもない間違いです。 仏教で他力とは、本師本仏の阿弥陀如来の本願力

のみをいわれます。

ですから、他力の信心とは、私たちの心で何かを信ずるという自力の信心とは

全く異なり、阿弥陀如来から賜る信心であることがおわかりでしょう。

「他力の信心は善悪の凡夫、共に仏の方より賜る信心なれば・・・」

と、お聖教にも書かれています。

阿弥陀如来より賜る信心ですから、蓮如上人は、

「信心という二字をば、まことの心と読めるなり、まことの心と読む上は、凡夫自力の

迷心にあらず、まったく仏心なり」 と仰言っています。

仏心すなわち、阿弥陀仏の大慈悲心を賜る、ということです。

阿弥陀仏の大慈悲心の顕現、象徴が、南無阿弥陀仏の六字の名号でありますから、

名号が私のものとなったのを信心、というのであります。

まだ、私のものになっていないときは「名号」と言い、私のものになったのを「信心」

というのです。 では、名号とはなんなのでしょうか。

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