以上でお分かりのように、阿弥陀如来から南無阿弥陀仏の名号を一念で
賜わり、苦悩の根元である無明の闇を破って頂き、往生一定の心になった
のを、「信心」 と、浄土真宗ではいわれるのです。
「無碍光如来の名号と かの光明智相とは
無明長夜の闇を破し 衆生の志願を満てたまう」 (親鸞聖人)
無礙光如来とは阿弥陀如来のこと。阿弥陀如来のつくられた名号には
苦悩の根元である無明の闇をやぶり、衆生の上に、阿弥陀如来の志願
(私たちをこの世から未来永遠の幸福にしてやりたい)を満足させる働き
がある、という意味です。
そして、
「この仏心(名号)を凡夫の方に授けましますとき、信心とは名づくるものなり」
(蓮如上人)
と蓮如上人も仰言るとおり、破闇満願の力のある名号と私(凡夫)が一体に
なったこと(これを仏凡一体という)を、信心、あるいは、信心決定、
信心獲得、といわれるのです。
ですから、浄土真宗の“信心” とは、キリスト教やイスラム教、日本神道で
いうような“信心”とは、まったく異なるのです。
浄土真宗親鸞会では、親鸞聖人が明らかにされた“正しい信心”“真実の信心”
一つを開顕するために存在します。“他力の信心”とは、いかなるものか、
聞きたい、という方は、親鸞会で聴聞してください。
コメントは受け付けていません。