By ゆうと | 7月 1, 2009 - 10:45 am - Posted in 信心とは, 正しい信心を明らかにされた親鸞聖人

ブッダが誕生なされた時代はどうだったか分かりませんが、とにもかくにも現代人は多忙です。

現実から逃避して、行雲流水のようにひょうひょうとした生き方を望みたい気持ちもわかります。

しかし、混迷の時代に生き抜かれた親鸞聖人の生きざまは、波乱万丈そのものでありました。

たくましき親鸞、と驚く人も多いのですが、聖人は、それも、阿弥陀仏からの賜りもののおかげだと言われています。

ご和讃に、
「金剛心なりければ」
と言われたのは、
「真心徹到すれば、金剛心を頂くのだ」
ということです。

金剛石といえば、ダイヤモンドのこと。
軟らかい餅は、踏めばつぶれて形が崩れますが、世界一硬い鉱石であるダイヤモンドは、ちょっとやそっとのことでは壊れません。

「金剛心」とは、そんなダイヤモンドのごとく絶対に壊れない信心のことで、次のようにも教えられています。

「如何なる人来りて云い妨ぐとも、すこしも変らざる心を金剛心という」
(後世物語聞書)

どんな偉い人が、どれだけ大勢やってきて、「おまえの信心は間違いだ」と一斉に非難したとしても、決して微動だにもしない心のことです。

「弥陀の本願まことだった」
とハッキリした鮮明不動の金剛心を弥陀より獲得すれば、どんなにあざけり笑われ攻撃されようとも弥陀の誓願を伝え切る信念と前進を、何ものも妨げることはできないのです。

「この真実どうか分かってもらいたい」
と、独り突き進まれた聖人の、激しさ、厳しさ、たくましさの秘密は、弥陀より賜った金剛不壊の大信心にあったのです。

親鸞聖人が我々に伝えようとしているのも、この金剛不壊の大信心です。

その意思を受け継いで、親鸞会では法話を通して真実の信心一つを皆さんにお伝えしています。

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By ゆうと | 6月 24, 2009 - 10:21 am - Posted in 正しい信心を明らかにされた親鸞聖人

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」
(教行信証)

「まことだ!本当だ。弥陀の誓いにウソはない。
皆々聞いてもらいたい、この親鸞が生き証人だ。
早く、弥陀の誓願まことを知ってもらいたい」

これは、親鸞聖人ご自身が、29歳の御時、真心徹到された、感激に満ちた告白です。

「摂取不捨の真言」も「超世希有の正法」も、ともに弥陀の誓願のこと。

弥陀の誓願とは、“すべての者を、絶対の幸福にせずにはおかぬ”という、本師本仏の阿弥陀仏のお約束です。

友人に貸している大金が返ってきた時に、“彼の誓約は本当だった”と、それまでの疑いが晴れるように、絶対の幸福になった時、
「弥陀の誓願まことだった」
とハッキリします。

だから「まことなるかなや」とは、弥陀の誓願どおりに、絶対の幸福に救い摂られた聖人の、真情あふれる歓喜の叫びです。

私たちが人間に生まれてきたのは、この親鸞聖人と同じ絶対の幸福に救われるためです。
親鸞会は、親鸞聖人が伝えられたことを、そのまま皆さんにお伝えしている集まりです。

聖人はこの体験を、「信心獲得」とか「信心を獲た」とも言われています。

真実信心は、本師本仏の阿弥陀仏から賜る、「他力の信心」だからです。
「他力」とは阿弥陀仏のお力のこと。

だからこれは、永い間、求め続けてきた真実の信心を弥陀より賜り、人生の目的成就なされた聖人の、驚嘆のお言葉なのです。

ところが、人生の目的に完成があると言われると、
「目的を達成すると、することがなくなってしまうのではないか」
との杞憂を時々聞きます。

しかし、それは全く反対です。

学校を卒業してから、社会での活躍が始まるように、人生の目的達成してからが、本当の活躍の始まりなのです。

親鸞聖人の、あの不惜身命の大活躍も、信心獲得の29歳から始まったではありませんか。

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