By ゆうと | 3月 24, 2010 - 2:17 pm - Posted in 未分類

このように、浄土真宗で教えられる信心は、私たちの心で作り上げる信心ではなく、

阿弥陀仏から賜わる信心ですから、

これを他力廻向、と言います。

他力とは、阿弥陀如来の本願力。

廻向とは、差し向ける、与える、ということです。

不可称不可説不可思議の功徳がおさまった名号を、阿弥陀仏のほうから私たちに

与えてくださるのです。

聖人一流の章には、「不可思議の願力として、仏のかたより・・・」と書かれています。

しかも、名号は一念で頂きますので、一念の信心、と言われます。

一念とは、時刻のきわまりのことで、あっともすっともいうまがない、何億分の一秒

よりも短い時をいいます。

親鸞聖人は、「一念とは信楽開発の時尅の極促をあらわす」 と教行信証に

書かれています。

このように、阿弥陀仏から一念で名号を頂いたことを、信心決定、信心獲得、

仏凡一体、信楽開発、など、さまざまな言い方をされるのです。

釈迦の説かれた一切経は、私たちが信心決定する、これ一つが目的で

説かれています。

浄土真宗親鸞会が作られた目的も、これ以外にはありません。

「あわれあわれ、存命のうちに、皆々信心決定あれかしと、朝夕思いはんべり」

(蓮如上人の御遺言)

この蓮如上人の御心のままに、親鸞聖人の正しい教えを、自他共に徹底

する、これが親鸞会です。

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By ゆうと | 3月 5, 2010 - 9:12 am - Posted in 信心とは, 正しい信心

以上でお分かりのように、阿弥陀如来から南無阿弥陀仏の名号を一念で

賜わり、苦悩の根元である無明の闇を破って頂き、往生一定の心になった

のを、「信心」 と、浄土真宗ではいわれるのです。

「無碍光如来の名号と かの光明智相とは

無明長夜の闇を破し 衆生の志願を満てたまう」 (親鸞聖人)

無礙光如来とは阿弥陀如来のこと。阿弥陀如来のつくられた名号には

苦悩の根元である無明の闇をやぶり、衆生の上に、阿弥陀如来の志願

(私たちをこの世から未来永遠の幸福にしてやりたい)を満足させる働き

がある、という意味です。

そして、

「この仏心(名号)を凡夫の方に授けましますとき、信心とは名づくるものなり」

(蓮如上人)

と蓮如上人も仰言るとおり、破闇満願の力のある名号と私(凡夫)が一体に

なったこと(これを仏凡一体という)を、信心、あるいは、信心決定、

信心獲得、といわれるのです。

ですから、浄土真宗の“信心” とは、キリスト教やイスラム教、日本神道で

いうような“信心”とは、まったく異なるのです。

浄土真宗親鸞会では、親鸞聖人が明らかにされた“正しい信心”“真実の信心”

一つを開顕するために存在します。“他力の信心”とは、いかなるものか、

聞きたい、という方は、親鸞会で聴聞してください。

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