では、親鸞聖人が生涯教えられた「他力の信心」とはいかなるものでしょうか。
まず、他力とは、阿弥陀仏の本願力のみをいいます。
教行信証には、「他力というは如来の本願力なり」 と書かれています。
他力、というと、自分以外の力、自然の力を他力と思っている人がありますが、
とんでもない間違いです。 仏教で他力とは、本師本仏の阿弥陀如来の本願力
のみをいわれます。
ですから、他力の信心とは、私たちの心で何かを信ずるという自力の信心とは
全く異なり、阿弥陀如来から賜る信心であることがおわかりでしょう。
「他力の信心は善悪の凡夫、共に仏の方より賜る信心なれば・・・」
と、お聖教にも書かれています。
阿弥陀如来より賜る信心ですから、蓮如上人は、
「信心という二字をば、まことの心と読めるなり、まことの心と読む上は、凡夫自力の
迷心にあらず、まったく仏心なり」 と仰言っています。
仏心すなわち、阿弥陀仏の大慈悲心を賜る、ということです。
阿弥陀仏の大慈悲心の顕現、象徴が、南無阿弥陀仏の六字の名号でありますから、
名号が私のものとなったのを信心、というのであります。
まだ、私のものになっていないときは「名号」と言い、私のものになったのを「信心」
というのです。 では、名号とはなんなのでしょうか。
This entry was posted on 火曜日, 11月 10th, 2009 at 1:56 PM and is filed under 未分類. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. Both comments and pings are currently closed.