以上でお分かりのように、阿弥陀如来から南無阿弥陀仏の名号を一念で
賜わり、苦悩の根元である無明の闇を破って頂き、往生一定の心になった
のを、「信心」 と、浄土真宗ではいわれるのです。
「無碍光如来の名号と かの光明智相とは
無明長夜の闇を破し 衆生の志願を満てたまう」 (親鸞聖人)
無礙光如来とは阿弥陀如来のこと。阿弥陀如来のつくられた名号には
苦悩の根元である無明の闇をやぶり、衆生の上に、阿弥陀如来の志願
(私たちをこの世から未来永遠の幸福にしてやりたい)を満足させる働き
がある、という意味です。
そして、
「この仏心(名号)を凡夫の方に授けましますとき、信心とは名づくるものなり」
(蓮如上人)
と蓮如上人も仰言るとおり、破闇満願の力のある名号と私(凡夫)が一体に
なったこと(これを仏凡一体という)を、信心、あるいは、信心決定、
信心獲得、といわれるのです。
ですから、浄土真宗の“信心” とは、キリスト教やイスラム教、日本神道で
いうような“信心”とは、まったく異なるのです。
浄土真宗親鸞会では、親鸞聖人が明らかにされた“正しい信心”“真実の信心”
一つを開顕するために存在します。“他力の信心”とは、いかなるものか、
聞きたい、という方は、親鸞会で聴聞してください。
This entry was posted on 金曜日, 3月 5th, 2010 at 9:12 AM and is filed under 信心とは, 正しい信心. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. Both comments and pings are currently closed.